教師のバトン
「#教師のバトン」をはじめ、Twitterなどで部活の不満がたくさん出ているのは、裏を返せば、リアルな職場では改善はおろか、意見すら出せていないからかもしれません。私もそういった活動に意欲的に参加している一人です。
文科省等が「PDCA」とさまざまな文書で何度も強調するのは、どうかとは思っていますが(そもそも事前にきちんと計画できない事態も多いし、PDCAと書くことで思考停止している節もあるのは問題)、学校でCheckもActionも、さらにはPlanも形骸化していると思うことは多々あります。その背景には、意見を戦わせることがないという問題があるように思います。
先生たちの多忙はほんとうに深刻で、改善に向けてできることを進めていきたいですが、忙しいからといって、大切な対話や議論をすっ飛ばしてしまうのは、考えものです。結局「例年通り」や、「力の大きい人の言うがまま」、「周りの人がそうだから」というような事なかれ主義がはびこってしまっています。
しかし、こういった意識の状態では、根本的な見直しが起きないので、一向に忙しさが改善しないという事態にもなりかねません。つまり、「忙しいから、議論ができない」という因果関係もあるでしょうが、「ちゃんと議論しないから、忙しい」という関係もあると思います。
自動生徒に「主体的で対話的で深い学び」を求めようとしています。しかし、その「主体的で対話的で深い学び」は、まず職員室から必要なものだと思います。
2021/6/6